同志社大学工学部化学工学科昭和43年度卒業同窓会
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まとまった記事、写真はメールでお送りください。皆様の投稿をお待ちしています。
写真はリンクしてます。640×480pixles(ブラウザの「閉じる」ボタンで閉じてください)
古市義人旭日双光章受章記念パーティ 2016年10月1日
投稿者 古市義人 京都ホテルオークラにて
 パーティで舞妓さんが踊った「祇園小唄」「鴨川小唄」をYouTubeにアップしました。
どうぞクリックしてご覧ください。
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面白いので投稿します。 (2012年5月6日)
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市川昆監督のお別れ上映会
同志社大学 寒梅館ハーディホール 開催 2008年7月12日
「炎上」「破戒」「どら平太」の3本が上映され座談会も開かれます。
いずれの作品も照明には古市の会社、嵯峨映画のスタッフが深く関わっています。 参加費は500円、当日会場にてお支払い下さい。
9時30分開場 10時「どら平太」 12時「炎上」 14時「座談会」 14時45分「破戒」 17時「炎上」
19時「どら平太」
市川昆 監督
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日経産業新聞   日刊工業新聞
投稿者 榎本時一 2007年12月10日
日経産業新聞(12月6日)、日刊工業新聞(12月7日)に載った記事をお送りします。
「にっぽん元気カンパニー」「榎本薬品社長の榎本時一さん 安定供給する」
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日経新聞記事「庭上梅」
投稿者 杉山和彦 2007年11月30日
杉山さんから下記のように手紙をいただきました。
日経新聞の記事をお楽しみ下さい。(ファイルは pdf 495KB )
「今年から、渋谷と京都での謡の稽古を再開したことを話していたら、友人(ニチコンの岩佐君)から、添付記事が届きました。 皆さんへの参考にと化工のHPに掲載しようとトライしましたが、重くて拒絶されました。貴兄の方でアップいただければ幸いです。 今日から、高校の有志で、修学旅行と同じルートの旅行(別府、杖立、熊本、福岡)に行きます。」
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プラハおよびビィニャ・デルマール紀行記
投稿者 尾崎都司正 2007年8月15日
 7/7から1週間、チェコ共和国のプラハの学会に参加した。学会で得られる知識は僅かだが、国際学会は、異なる文化圏の人と語り、 見聞することによって外から日本を見つめ直すことができる良い機会です。
プラハの街並みは、世界遺産に指定され、観光都市としては一流でした。空港に着くとスメタナ作曲の「モルダウの流れ」のBGMがなり、 バッハ、モーツアルト生誕の地の中世の寺院が創建当時のまま市内に点在しています。しかし、プラハの春がソ連の戦車で制圧された 広場は、マクドナルドや商店が立ち並び、自由の場と化していた。
 学会の晩餐会ではハンガリーの学者が隣席してきた。彼は、ハンガリー動乱がハンガリー革命、すなわち自由へのレジスタンスで あったことを強調していました。それにつけても、北海道の面積くらいの小国であるチェコやハンガリーあるいはクロアチアが払った 屈辱と忍耐への代償は想像を絶します。これら東欧の諸国が小国なるがゆえに大国に翻弄され、占領すれども統治はしなかったナチス、 国家そのものを否定しようとしたソ連への恨み根深く、後者のそれは前者を遥かに凌駕しているようです。
 とはいえ、冬はマイナス20度の気温、夏でも20度くらいにしかなりません。市民生活のエネルギー源、また、産業のためのエネルギー 資源はソ連に頼らざるを得ない。また、資本が自前で調達できないため、海外企業、とくに資源小国の日本に親近感をもち日系企業の 進出を渇望しています。ソ連からの開放は、自前で国家を運営していかなければならない現実と直面して経済を運営していますが、 他の小国と異なっているのは音楽という文化を輩出した誇りが感じられることでした。
東欧の比較経済学が専門の家本教授から、チェコの日本大使館を紹介され、立ち寄って情報交換を行った。東欧の将来を握るのが ポーランドであり、これら小国がどのように生き残っていくのかという問題は、日本の将来とも関わりがあり、東欧は身近な国になった 感じがします。
マクロ的な視点で日本の今後の対応を考えてみた。日本も東欧諸国と同じく資源を持たない小国。韓国も同様。しかしながら、韓国 からプラハには直行便があり、街の至るところでサムソンの宣伝が目に付くのにくらべ、日本はというと直行便がなく、中部国際空港 からヘルシンキへ、そこからプラハに入らざるをえない。日本の家電メーカーの宣伝は韓国の比とはならない。 ハンガリーの教授はキャノンのデジカメは優秀だといって見せてくれたが、これらの知識人には価値が分かるが、欲しくても一般人 が持てるのは低価格のサムソン製。かつてのソニーが海外市場を開拓したときと同じ状況を髣髴させ、今後の日本の将来に暗い影を感じる。 なぜ、日本のお家芸が韓国にとられ、このような事態を迎えたのか。バブルの後遺症で日本の企業を追われた多くの優秀な技術者が 韓国企業に移ったからに他らない。ブラジルでも日本車よりも韓国車がよく売れていると聞く。技術は人に付随して移転していくためで あり、大企業の安易なリストラとそれを当然視した政府の政策の愚かさを感じた。
 また、ロシア経済の回復は、石油・天然ガスの恩恵であり、一方、中国の好景気も日本企業の進出によるものである。しかし、サハリン パイプラインは日本の思惑とは異なり、中国も模倣の技術を身につけて、日本を脅かしている。それに対して、日本は金と技術を渡すのかと 言いたくなる。日本の地位を向上させるには、北方領土が返還されない前提で、ロシアから石油・天然ガスを購入しないことが重要なのです。 供給過剰に陥れば石油の値段も下がることは誰でもわかること、さらに追い討ちをかけるには日本企業の中国進出を撤退してベトナムに 進出すべきだというかねてからの自説に自信を持った。政経分離は両立しがたい。日本の戦略をこのように維持したとき、自由の代償は 当然大きくなるのは覚悟しなければならない。受身の戦略ではなく、日本の顔が見える戦略と人の創造性を重視するシステムを構築する ことが必要と痛感した。
 今度は8/1から1週間、南米チリのビィニャ・デルマールに行った。こちら国際諮問委員のメンバーであるため。もちろん、直行便はなく、 成田からダラス、ダラスからサンチャゴを経て現地についた。途中、ダラスでは10時間待たされ、40時間の長旅だった。南米は3度目で あるが、その都度、被征服者のことが頭をよぎる。原住民とスペインの混血の子孫。確かに魅惑的な女性が多い。 しかし、幕末・明治維新を経て日本がよく外国に支配されなかったと感心もする。
 ビィニャ・デルマールは、別荘地であり、また、隣の街には海軍の軍港もある。分からないスペイン語放送のTVを諦め、少しでもとCNNを みたが日本のニュースはまったく少ない。それだけ、国際経済への影響力は弱いのかも知れない。ただ、海軍は20年前に幹部候補生が シンガポール、呉・横須賀などに訓練のため寄港したようだ。柏崎原発のニュースに海軍の将校から「日本は大丈夫か」と尋ねられた。 海岸線の長いチリでは海防が不可欠と考えているようで、発表もミリタリーセッションがあって海軍の意思決定問題が発表されていた。
 今回の収穫は、24年前に食べたアルゼンチンビーフの美味さに浸ることができたこと。日本ではアメリカ、オーストラリア産が 出回っているが、アルゼンチンビーフは霜降りではないが、霜降りと同じ軟らかさ、それでいて値段が安い。なぜ、日本に輸入され ないのか分かりませんが、アメリカに行ったおりには一度試食してみてください。輸入されていますので。
 皆様の要望であるアニータへの復讐ができませんでしたが、お詫びに写真を提供しますのでご覧ください。
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0(ゼロ)からの風  田中好子主演 2007年3月27日 古市
  19才の息子を交通事故で失った母親が加害者の刑罰の軽さに驚き法改正に立ち上がって成し遂げます。
息子は早稲田大学の1年生、息子の夢を果たすべく自分も受験に挑戦し、入学卒業を果たしたことが3月26日NHKニュースの特集で報道されました。 それを映画化したのが「0(ゼロ)からの風」。私の会社のサガ映画、関西ロケーションサービスも仕事に関わりました。
http://www.zero-karano-kaze.com
 ゼロからの風
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京都新聞 3月19日夕刊 「おすすめのお店」
投稿者 古市義人 2007年3月20日
 私の家内、古市晶子が推薦人となり京都新聞の夕刊に太秦大映通りの小料理屋さんが取り上げられました。 その時の記事を投稿します。
てっぺい
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日刊工業新聞
投稿者 榎本時一 2007年3月15日
更に追加で 記事が2007年3月9日の日刊工業新聞にも載っております。
日刊工業新聞
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日刊工業新聞
投稿者 榎本時一 2007年3月9日
榎本薬品の記事が2007年3月7日の日刊工業新聞に載りました。
日刊工業新聞
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台湾での想い
投稿者 尾崎都司正 2006年7月5日
6/19から6/26まで研究発表で台湾に行ってきました。皆さんは遊びだと思われる でしょうが、「愛知万博における開催地選定の合理性」、「自動車ボディの加工 順序問題」という2編の発表のためです。前者は、新聞発表したものですが、 後者は新たに研究したものです。トヨタへの納入はジャスト・イン・タイムにも とづくため、下請けは在庫を持たなくてはならない。これが、下請け企業の経営 を圧迫する。特に、自動車ボディはアイテムが2000と多く、加工順を探索しよう とすると2000の階乗の計算が必要になる。コンピュータでも10の階乗計算が限度 あり、これを超えるアイテムの計算は不可能。近似計算理論を修正すると、37% の生産能力がアップし、在庫を殆ど持たなくても良いという結論を得たが、その ためには、人間の経験や勘をコンピュータが支援するというのが発表の趣旨でした。 2006年のInternational Computer Conference on Industrial Engineering;ICCIE という国際会議は、国立清華大学と政府が援助していました。国立清華大学にいた 曾國雄先生から昨年に招待されたものです。曾先生は戦後に京都大学に留学され、 現在は終身教授の偉い人で、死ぬまで現役の給料が支払われるのです。60歳まで に、1年間台湾に留学しようと思っていますが、先生は、ずっと台湾に居てもらい たいと要請されています。拙い英語を磨くために。少なくとも1年の研修先は、イ ギリスか台湾と決めています。One purposeの意味も分らないのですから。台湾で は、英語の教科書で大学の講義がなされていて、Mail友達も流暢な英語を話す。 また、日本のテレビが放映されているので日本語を話す人も多い。台湾人から見る と日本語の理解は容易なようである。中国人も同様であるという。しかし、われ われは中学・高校・大学と英語を習っているのに何故修得できないのだろうか。 海外に出ると、語学の問題でサッカーに負けたと同じ屈辱感をいつも味わってい る。 最後の2日は花蓮に小旅行をしました。大理石でできた山や珊瑚の岩などを 見てきました。北回帰線を通過したので暑さもひとしお。好日的な国であることを 確認して、大陸とは対照的であると思っています。 夜は、4星ホテル。例によって 怪しい男たちが甘い勧誘にきた。台湾で本場のマッサージを合計5回受けたが、 日本に居たときの痛みは軽減した。次の日は、イギリスのIBMに勤務するボブと、 通訳と3人だけの旅行だった。なんと、四国八十八箇所霊場のコピー版があった。 真言宗の両界曼荼羅、空海坐像があった。真言密教の奥義とされる「理趣教」は、 sex肯定であり、密教を手で表現する。密教を体得していなかった最澄はこの書物を、 文字のみで理解しようとしたことから、最澄と疎遠になったのは禁欲と性欲肯定と の溝があったといえる。余談だが、東大寺も空海が法主になって以来、この理趣教 が朝晩勤行されている。さらに言えば、親鸞は積極的にsexを肯定した。人間の煩悩 の典型をあげたが、四国八十八箇所霊場は不治の病に罹った人が死との葛藤を克服 する死の旅が起源とされる。遍路とは彷徨して恐怖を克服するものであり、今日的 な意義を見出すならば、人間再生の役割があるものと想起される。つまるところ、 自己との戦いこそが再生の道であろう。経営者、サラリーマンそれぞれが孤独であ り、そこから逃れるのではなく正面から対峙することが不可欠である。Sexを例に 挙げたが、煩悩との戦いは生きている証である。この世とあの世の輪廻の思想は釈迦 の説いたものではなく、それ以前のインドにもともとあったものであり、生まれ 変わってという考えは釈迦の法にはない。苦しいことがこの世にあるが、それを肯定 するのが釈迦の法である。空海は、大日如来を中心に曼荼羅で体系化しているが、 異国にあって日本の思想家の偉大さを改めて思い知らされた。 台湾の経済は、日本経済の影響を直接的に受けているが、大陸人、原住民との対立も 根深い。底辺に立つ原住民は生活のために夜も昼も働かなければならない。金銭的 豊かさを求めて。しかし、国全体は日本の1/2の見かけの豊かさ。しかし、食べ物、 物価は安く、勤勉な国民性は維持されているようである。管理・監督する日本社会 から出て、南国の陽気のような開放的な社会に触れると、我々の社会はどこか誤って いるという気がしてならなかった。来年度は、エジプトのアレキサンドリアでの開催 が決定したが、文化的知識が乏しいので今のところは予定しない。ともあれ、寂しく もあり、楽しくもありの台湾でした。
宇治 宇治
宇治 宇治
宇治 宇治
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三輪先生のお見舞い報告
投稿者 尾崎都司正 2006年7月2日
三輪先生のお見舞いをかねて、昨夜から36年ぶりに有志が宇治に集合しました。 榎本社長さんが株で儲けた祝賀会、岐阜信用金庫の理事となった椿井昭二君、長 年岡山・名古屋に単身赴任をしてきた吉田薫君の本社・大阪への転勤の祝い、お よび小生の台湾からの帰朝報告をかねて、自然発生的に京都宇治の「はなやしき 浮舟園」に7/1の夕刻に集結しました。私は、椿井君とは電話で何度も会話して いますが、他のメンバーとは36年ぶりの再会でした。それぞれ悲喜交々の人生を 回顧しながら、今日の幸せを噛みしめると同時に、明日への飛躍を述べ合うな ど、川の字になって寝ながら、未明まで語り合い、「老いたりといえど、青雲の 志未だ健在なる」夢を見ながら就寝しました。 今朝、所要のため椿井君は大垣に行きましたが、我々は折角の宇治の風情を楽し もうと中学の修学旅行以来の平等院まで出かけた。途中で風雨に遭遇し、雨宿り をするというアクシデントに見舞われ、三輪先生との再会の不吉な予兆かと思わ れたが、雨も止んで何事もなかったような、不思議な出来事に見まわれた。ホテ ルで先生の到着を待っていると、永岡さんが不意に来訪した。5月23日のメール をもって。音信不通にも限度があるが、良くも、場所や日時が変更しなかったも のと感心した。榎本さんが先生を連れてこられたが、昔日の面影はなく、病人の 老人そのものでした。しかし、口は達者で、「79歳だからまだ生きられる」と豪 語するなど、日頃の寂しさを隠すかのような振る舞いをされ、私たちに安堵させ ようと気遣っておられた。2時間の強の時間もすぐに過ぎ、体調を気遣ってお別 れしたが、良くも悪くもわれわれの支柱であるだけでなく、稀有な学生時代の生 き証人であることも事実。名状しがたい気持ちに捉われたが、苦楽をともにした 恩師ではなく、反面教師であったこと、さらに、60歳前後になり、我々も先生の ようになるのかという「老」の現実とがなせる業であろうか。昨夜泊まった部屋 の「老松」にあやかり、老いても肉体や精神は若さの保持を痛感した。 山形への旅は、京丹後市役所生活環境部部長三浦到氏が、三輪先生を自宅へ車で 迎えに行き、伊丹空港へ、帰りは逆をとられた。そこには、介護老人に接する気 遣いがあったようです。時間に余裕のある方は、メールでの話合い相手になられ るようにしていただければと思います。
宇治 宇治
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宇治 宇治
宇治
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ボルネオ島 コタキナバル 旅行
投稿者 古市義人 2006年2月14日
ボルネオ島の北東にあるコタキナバル、マレーシア サバ州の州都です。
夫婦でゴルフ旅行に行きました。看板の後ろに見える白い建物が宿泊ホテル、ステラハーバー。
ゴルフ場の後ろには水上生活者の家が並んでいます。
観光には キナバル山、4,095mを見に行きました。(世界自然遺産指定)
町を歩くとイスラム教の人が多く住んでいます。
南国では生活がしやすいのか低所得者が多くなります。ホテル経営者や富裕層は中国人、華僑が多く 搾取に熱心なのに 危うく感じられます。中国人ほど金儲けに熱心な人種は少ないと思うのですが。よく本土では共産主義で、中国人が黙っていられるなあ と感心するのは僕だけでしょうか?
低所得者層は経済を中国人に牛耳られて反感をもたないのかな?
ゴルフ場 ゴルフ
キナバル山 ショップ
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小倉餡の発祥地 (小倉あんパン)
投稿者 古市義人 2006年1月7日
お正月の墓参りで二尊院へ行きました。二尊院は嵐山の小倉山ふもとにあります。 見慣れない石碑が境内にありましたので読んでみました。
昔から「小倉あんパン」というものがあり何故あんぱんに「小倉」の 名前が付くのか不思議でしたがこの石碑を読んで解明しました。
写真に適当なものがなく、私の家族の写真が入ったことをお許し下さい。(そのうちに替えます)

「小倉餡発祥の由来」
日本で初めて小豆と砂糖で飴が炊かれたのは平安京ができて間もなくの820年のことであります。 当時このあたり小倉の里に和三郎という菓子職人がいて亀の子せんべいをつくっていましたが 809年に空海が中国から持ち帰った小豆の種子を栽培し、それに御所から下賜された砂糖を加え、 煮詰めて餡を作り、これを毎年御所に献上されました。 その後、この和三郎の努力で洛西を中心に小豆が広く栽培され、江戸時代には茶道の菓子にも用いられ ハレの料理にも加えられるようになりました。 和三郎は承和7年2月2日(840年)に亡くなりましたが、その子孫並びに諸国同業の人々が その功績をたたえて小倉中字愛宕ダイショウの里に一社を建て、朝廷の免許を得て、屋号が 亀屋和泉でありましたので、和泉明神としてまつられるようになりました。 その後年月を経て明神の社は兵火に焼かれ、子孫も絶えて、只古老の伝承として伝えられてきましたが 昭和23年3月に嵯峨商工研究会の席上にて藤木展造氏を始め高桑義正、鈴木広政、津田佐兵衛 (五代)、中路明の諸氏の方々から此の伝承が確認されています。 今ここに創業200年を記念してこの碑を建立することにより、小倉餡歴史を解明する端緒となれば幸いです。
平成17年3月6日  井筒八つ橋本舗 六代 津田佐兵衛建立

二尊院門前 石碑 住職
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相和会の皆様へ セミナーへのおさそい
投稿者 服部正和 (代行投稿者、古市義人) 2005年10月19日
11月1日(火)の午後6時より1時間30分、京都医療センター看護助産学校3階視聴覚教室 において、下記のセミナーを行います。  (伏見にある旧名 国立京都病院 内)

講演者は、Marc Montminy教授(Salk Institute, University of california)と Steve Shoelson教授(Joslin Diabetes Center, Harvard Medical School)のお二人です 。
Montminy教授は、主に肝臓で行われている、「体内のエネルギーを感じることによって 、ブドウ糖と脂肪の代謝が調節されている」ことを話されます。
Shoelson教授は、アスピリン(解熱鎮痛・消炎剤)が2型糖尿病の治療に効果があること を発見され、「インスリン抵抗性やメタボリック症候群の発症機序について、炎症という 見地から」話されます。
お二人とも、若くて優しく、明快に話されます。研修医、レジデント、看護助産学校学生 、職員の皆様のご来場、また相和会皆様のご来場も歓迎いたします。

服部Dr. 視聴覚教室
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倭人伝考
投稿者 水口 治 平成17年8月28日
古史古伝に興味を持ち「ほつまのつたえ」を読み 手元に神道・倭人・天皇の歴史 「古史古伝大系」を読みながら彼、此、寄り道しています。
 神道見習いを20年前より受け継いでいます故 神社のお祭りしている「神」はどなたか?と見ています。 お願いばかりが お参りではなく、お礼参りも必要。新興宗教ほど「気」を持ちて 各個人の願いを叶える。キリスト教のある牧師 私もできるが それは教えを広め 信者を獲得する事には成らない、と話しておられた。良い考えですね。
 「邪馬台国ほどこですか」「神話から歴史へ」とミステリー、通史を読み終え、次 に「邪馬台国はなかった」?(邪馬壱国ならある)と研究された本を完読しました。 著者 古田武彦 朝日文庫 です。この両方の本には 同大考古学の権威 森浩一 先生の影があり あらためて偉いんだ〜と思っています。 いま此処に「倭人伝」の本文を載せ挿せていただきますが 何分語学力が無い小生 ただ写しただけです。興味が湧く方 一読下さい。 終戦まで 江戸時代、松下見林、新井白石、本居宣長 国粋学者の方々の考察が 北九州説、畿内大和説、他いろいろ、でも博多に在った様ですね。 宮内庁管轄、天皇陵の発掘が出来ない今 やまうぃこく=やまだいこく の解決は 何時の日やら?

魏志倭人伝 邪馬台国
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オーストラリア ケアンズ 旅行
投稿者 古市義人 平成17年7月12日
 7月6−10日、オーストラリア ケアンズ に行きました。
オーストラリア 北東部 赤道近くにあり今は冬、日本と季節は反対です。
取引先のおつきあい旅行で500人弱の団体旅行です。そのときの写真を投稿します。
45mの高さからのバンジージャンプ、白人の女性が飛びました。そしてボートで拾われているところです。 明くる日に同行のおばちゃんが飛びに行ったと聞いて驚きました。
キュランダのトロッコ電車に乗り熱帯雨林の見学に行きました。電車の停留所からの滝と帰りのロープウェイからの同じ滝の写真です。 また、海岸では結婚式をしていました。向かいの島には1泊30万円するとか言う高級ホテルがあるそうです。
最後の写真は同室者。このおじさん、耳と鼻が異様に大きいのです。(もちろんあそこも)

バンジージャンプ バンジージャンプ
トロッコ発車場 電車内
滝 停車場
ケーブルカーからの滝 ケーブルカー
結婚式 同室者
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恩師からの手紙
投稿者 榎本時一 平成17年6月13日
三輪先生からのメールです。

榎本時一社長殿
  ごぶさたです。たまにはメールとちゃんと生きている証拠の最近の動きです。
1. 臼類文化館計画は着々進んでいます。展示物運搬はまだですが、オープンは11月位を予定しています。
2. 大阪のコナモンのおばちゃん熊谷真菜さんからの紹介で、九州のある雑誌に投稿を依頼されました。 公式の所には出せない石臼情報を書きました。石臼大明神が動いた話です。
3. JR西日本刋の『西の旅』2006年V.6号,Aummer 2005に私のインタビユー記事『鳴き砂浜を裸足で歩く』が出ています。 ひやかしに見て頂ければ嬉しいです。多分グリーン車内かキヨスクにあるかと思います。近影があります。秋の世界臼類文化館 開館についても書いてあります。

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三輪先生からの手紙
投稿者 榎本時一 平成17年5月7日
三輪先生に先月23日の相和会会員有志の会合で「世界臼類文化館のことを話しま した」とメ−ル致しましたところ返信がありましたのでご参考までに転送いたします。

榎本時一社長殿
  お久しぶりです。あのハクションはそれだったなと合点しました。噂話をしてい ただけるだけでうれしいですね。それに文化館建設について興味を持ってもらえ るだけで、うれしい限りです。ここは昔の研究室にあったものの展示室そのものです から皆さんに楽しんでもらえるでしょう。在りし日の粉体研の復元ですね。それが上 石津町で実現したわけです。貴殿達の指紋が残っています。 行事もそのまま道具類ごと展示することに なっています。幸い東北大の米澤君が、来月になれば休みが取れるので、1週間休みを取ってくれる そうですので、それを頼りにしています。5月1日に宇治までわざわざ打ちあわせに来てくれました。あり がたいことです。4月10日に現地で報告会があり、展示予定施設で同志社流の餅つき 大会を盛大にやりました。もう曾孫の世代の子達が喜んで竪杵をつかんで大喜びで、 餅も同志社より沢山あったのがペロリとなくなりました。黄な粉の作り方も臼も杵も 同志社にあったものです。同志社流で、琴引浜の砂での特殊な炒り方です。  まだ丹後と大垣と自宅の3個所に分散している荷物輸送が、それぞれ大型トラック 1台ずつあります。それを持ち込んでの展示作業がありますが、米澤君がいてくれれ ば充分かと思います。私の田舎ですので、後はなんとかなると思っています。  皆さん大社長などなどで、無理することはありません。楽しい集合場所ができたと 今後のご利用をお願いします。ご後援ご声援だけお願いです。関ヶ原か大垣まで来れ ば、バスがあります。声が大きい私と同じ早口で口は悪い連中の集まりですから、そ う思えばなるほどとお分かりでしょう。 口が悪いので、先日村で説明会がありまし たが、私の姪が私に会うやいなや、酸素補給管を着けているのを見て「なんじゃその 情けないかっこうは」と言う具合、これが向こうの挨拶です。村で私を支援してくれ ている代表者の1人は京都に納入している柿渋メーカーとして現代では日本唯一の存 在らしいです。面白い連中との交流を楽しみにしておいて下さい。秋開催予定の日本 臼類学会では、話題は第二次アメリカ大陸攻撃の作戦計画にしようかと打ちあわせ中 です。それをこの連中も巻き込んで、ブッシュ大統領殿、お楽しみにして下さいと メールすることになっています。世界臼類学会と会の名称も変更予定です。やり放題で すね。 ご声援ありがとうございました。

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水口氏提供の「漢詩絵」について
投稿者 永岡 一義 平成17年4月25日
  「斉藤 賛史郎」 to 「永岡 一義」
 月下独酌の記載されたHPを探してくれましたので転送します。

月下獨酌            李白
花間一壼酒、, 獨酌無相親。
舉杯邀明月、 對影成三人。
月既不解飮、 影徒隨我身。
暫伴月將影、 行樂須及春。
我歌月徘徊、 我舞影零亂。
醒時同交歡、 醉後各分散。
永結無情遊、, 相期雲漢。

花間 一壺の酒、 獨酌相ひ親しむ無し。
杯を擧げて 明月を邀(むか)へ、 影に對して 三人を成す。
月既に 飮を解せずして、 影徒(いたづら)に 我が身に隨ふ。
暫く 月と影とを 伴ひて、 行樂須(すべか)らく 春に及ぶべし。
我 歌へば 月 徘徊し、 我 舞へば 影 零亂す。
醒時 同じく 交歡し、 醉後 各ゝ(おのおの)分散す。
永く 無情の遊を 結び、 相ひ期して 雲漢はるか なり。

花咲く木陰に酒壷を持ち出し、ひとりぼっちの手酌で飲んでいる。そこで杯を挙げて、昇ってくる月を招き、 同時に出来た自分の影も加えて三人となった。月はもともと飲めないし、影もひたすら私の真似をするだけである。 しばらく、この月と影とを友として飲み、心いくまでこの春を楽しむことにしよう。 私が歌えば、月はそれに合わせてゆらゆら動き、私が舞えば、自分の影もそれに合わせて入り乱れる。 酒を飲んでいる間は、3人で楽しみ合い、酔ってしまえばそれぞれに別れてゆく。いつまでもこのような、 清らかな関係の交遊を続け、この次は、あのはるかな天の河ででも再会するとしよう。

李白の「月下独酌」が記載されたHP
http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/rs32.htm
http://www.saitama-u.ac.jp/kanshi/rihaku/dokusya.html
http://home.att.ne.jp/wave/ayumi/SakeLave/Li_Po01.htm
http://seagull.exblog.jp/948106/

古今縦横_1 水墨画
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嵐山、桜の風景
投稿者 古市義人 平成17年4月3日 朝9時頃
 覚えておられますか。昨年の同じ日、同じ時間にジョギングのついでに写真を撮ってきました。
今日は天気は良くなく雨模様、パラパラときてますが走るのには差し支えありません。
今年は冬が長く寒い日が続きましたから桜の開花が遅れています。昨年の投稿写真と比べてみて下さい。 日曜日ですが人でも少ないです。(昨年の3日は土曜日でした。)
   
中之島橋 中之島公園
渡月橋 渡月橋遠景
渡月橋看板 渡月橋上
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随想
投稿者 水口 治 平成17年3月9日
 己貴(めざめ)という小冊子を毎月読んでいます。 これは 太古神道家、霊能者、霊媒者にて私設神社を額田郡幸田町に持ち 人々の不安、病、他を霊視し 浄霊浄化が出来る方が書かれています。 その中に 美しい日本語を知りたければ「ほつまのつたえ」が有り 読みなさいと載って いました。 さあ〜と どんな本なのだろう、探してみようと思い立ち近所の古老に尋ねると しっかりと色々な伝説を追い求め、調査、確認した本 3冊提示し借りる事が出来ました。
  1) ほつまのつたえ         松本 善之助 書
  2) 日本超古代、文明の謎      鈴木  旭  書
  3) 消えたシュメール王朝と古代の謎 岩田  明  書

 1)の本では 今の私と同様 何儀無く偶々聞かされた事よりスタート、書物を探す事から 始め 全国津津浦々を周り 滋賀県高島の神社を特定 でも無かった その後愛媛県 宇和島の所に有るを知り 写真に撮り 原文解析 翻訳を続けた苦労話と 一部内容 の記載でした。神武天皇よりの天皇史観であり 40綾(章)より成り立つています。 皇紀26000年と言われ 建国記念日2月11日に日本国の誕生日と定めていますが これは私達歴史の勉強で学んだ古事記、日本書紀に書かれています 又此より古い書物は 無いと言うのが通説ですが それより以前の書物で どうも偉い方々のお子さんより青年 前までの方に教養と歴史を 教え伝えた様な感じです。 著者は 表紙の図案のようなものが 漢字が入る前に日本で使われていた一字一音の固有 文字です この文字で 神代から十二代景行天皇の時代までの日本の古代史を 五七調 一万行に及ぶ長歌でうたいあげたのが 本の表紙 ホツマツタヘ と言っている 当時の「かな文字」も記載が有り「いろは歌」とは 違う読み順が載っていました。 全文、訳文 対照記載の物を 入手したいものです。
 2)の本では 下関、彦島に有る巨石に書かれている文字の読解析です 巨石に書いた文字を ペトログリフ(岩刻文字)と言いますが 彦島には20点以上有る との事 またそれは明治時代に 産業発展の為新工場建設によりその機構が破壊され 巨 石は石垣当に使われていると作者は言っています その原機構は如何なる物かと推理をし ています それは岡に穴を掘り 円状にし中心より上に向かい地上に出る形と推理してい ます そこで何か祭祀を行い 何かを崇め奉る事を行っていたんだろうと言っています。 文字の解析では シュメール文字と見て内容を調べていますが 未だ読めていない様です。 シュメール人は 今より6000年前この地上より忽然と消えたと記載されていますが 其れよりもこの本の中に 中国の歴史上の国家「殷」の人々が 我々は文字を日本より伝 来したと書かれているのが奇妙に思えます 南洋系よりの民族移動での日本定着した実史 の実証と交貿かな。
 3)の本では 今の社会にて某海運会社の航海士として世界の海を回り 行き先の港で文化 に触れて 日本の祭囃子 伝承文学(稲葉の白兎など) の同等性に気付かれ 南より文化 の伝搬を実証しょうとされた事が書かれています 古代のことですが チグリス、ユウフ ラテス文明 その前のシュメール文明とを 大英博物館、イラク博物館当にて調査、精査 後 当時の船を調べ船の外観、寸法を決定 当時の素材にて印度で船を造る 船はもちろ ん現在の動力は使わず帆船です。 この船では そのころ印度、サウジ、イラク沿岸の交貿が行われ その一部の冒険者達が 日本へ来たとの想定で 彼は印度人数名と共にイラクより日本への航海を試みたのです イラク沿岸より出発 沖縄近海にて遭難 海上保安船に助けられ 船は沈没を免れ沖縄に 曳航した 今 岩田氏は この体験を国内で講演中とか。

つぎに今年1月11日の京都新聞に載った記事ですが 全文を転記します。
 北海道の旧南茅部町で出土した世界最古の漆製品とみられる約9000年前(縄文時代早 期)の漆塗り副葬品の肩当てが、火災による大部分の焼失を経て3月末までに復元される ことになった。函館市教育委員会が 民間の東都文化財保存研究所(埼玉県川口市)に作 業を委託する。2001年につくったレプリカの型を利用し 焼失部分を合成樹脂で作成。  焼け残りの破片と一体化させ 縦約20センチ 横約12センチの肩当てが再びよみがえ ることになる。復元後、肩当ては厳重に保管されるが 展示の要望があれば 貸し出しを 検討するという。肩当ては2000年に垣ノ島B遺跡の土壙墓(どこうぼ)で発掘された髪 飾り 腕輪など漆塗り副葬品6点の一つ。布状のものに漆を塗ったと見られる。02年 12月に保管先の文化財事務所が全焼。ほかの漆製品や土器数万点が焼失したが 肩当て の一部が六つの破片となって焼け残った。奈良文化財研究所などが昨年11月までに行っ た成分分析で 軸となる繊維に別の繊維を螺旋状に巻き付けたとみられる痕跡などが見つ かり「約9000年前に完成度の高い技術を持った集団が北海道南部に存在していたこと は驚異的」と報告している。
このように今各地にて発掘調査が行われていますが 我々日本人は今でこそ単一民族と 思っていますが 縄文以前は「何人」であり その血を受け継いで居るのだろうかと 思 いを巡らすと 毎日が楽しく成ってきます。まずは 石器時代人 土着人か不明 アイヌ 人 この方々は一番古く現代まで一つの固まりで纏まっています。けれども彼らの歴史を 綴ったのは 明治以後に書かれている。その前は口伝により伝えられ 年代特定は不明。 次に縄文人 偉く凝った土器を作っていた 狩猟民族で在ると言われている 学生のころ 学んだ時より今では その歴史期間が長くなっている 海、山、草原で肉食系と思われて いる その後弥生人が来る 稲作文化を携え縄文人と戦い 今の関東以南を平定し 彼ら の村を作っていった ここに村長を作り 一つの生活圏が立ち上がる。此からの歴史は 漫画家 手塚氏の「火の鳥」の物語ではなかろうかと思うのは 穿った見方で在ろうかな。 しかし古墳時代の事は 氏の見方では当時の社会生活を 的確に捉えて射るように思えて 成らない 墓に奉られる方は 村長であり 100以上の「村長」が 大王(おおきみ)で あり その一つが今の天皇へと収斂していった 百済、高句麗から来た帰化人 大伴氏、 物部氏を滅ぼした蘇我氏 その蘇我氏を滅ぼした 中大兄皇子(のちの天智天皇)、天武天 皇 ここに自分達の正当性を表した物「古事記、日本書紀」(どちらも読んでいない)は  滅ぼした方の思想、書物を焚書坑儒して 出来上がった物だと気がして これから暫くの 間 古史、古伝を 追い求めようと考えている次第。
古今縦横_1 古今縦横_2 古今縦横_2
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同大、森浩一先生、三輪先生の記事が京都新聞に
投稿者 水口 治 平成16年4月3日
 同志社大学、森浩一先生の文化雑談、京都新聞の 「古今縦横」 に三輪先生との「石臼」に関する雑談の記事が載りました。
古今縦横_1 古今縦横_2
古今縦横_3
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日米糖尿病教育ミーティング 服部君が主催して開かれる。
取材記者 古市義人 平成16年10月10日
神奈川県足柄のテルモ研修センターでアメリカのJOSLIN糖尿病センターのスタッフを招き Dr.服部の尽力により教育ミーティングがおこなわれました。またその後、京都に移り再度ミーティングが開かれました。 このミーティングに古市と杉山君が参加。Dr.服部の研究には川崎重工、東京理科大学とのコラボレートも勧めています。 下の写真をクリックすると専用Webサイトにつながります。
テルモ研修センター
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尾崎教授からのメールをご紹介します。
投稿者 榎本時一
このたび、International Symposium on the Analytic Hierarchy Processの International Organizing Committeeに内定したとの連絡がありました。 意思決定の国際会議が永久に義務付けられてしまいました。提唱者のSaaty教授 がノーベル賞にいつもノミネートされていて、もし受賞でもしたら、私ももっと 浮上できるのですが。(人の褌で相撲を取るなと聞こえてきます。)ともあれ、 国際会議での発表や普及活動が少し認知されたのでしょう。(これでもまじめ に、世のため、人のために研究しているのです。)しかし、Chiarmanにされるの は困りますが。 取りあえず、ご連絡まで。

追伸
International Symposium on the Analytic Hierarchy ProcessのInternational Organizing Committeeは、どういうことなの か、何をするところなのか」ということなので、私が体得したことから説明します。 アメリカ国防省で戦略研究をしていた数学者のSaaty教授は、どの戦略が優先順位が 高いかを尺度化する方法Analytic Hierarchy Processを考案しました。この手法が国 防省での対日政策や海外戦略のもととなっているところです。ピッツバーグ大学に移 り、その手法をアメリカやヨーロッパのオペレーションリサーチ学会で公表したとこ ろから、広く認知されはじめたものです。今では意思決定手法として、あるいは経路 選択手法として多用されているところです。  こうした認知とともに、国際オペレーションズリサーチの開催と並行して国際シン ジュウムが開催されることになりました。国際オペレーションズリサーチ学会は、 ペーパー1枚で殆ど議論ができないため、中身のある国際会議にしようということに なったようです。国際会議では、開催地の役員Local Organizing Committeeがあり、 本部役員がInternational Organizing Committeeだと理解しています。この役員は Analytic Hierarchy Processの理論の発展と実践に貢献のあった人たちが選ばれてい て、それぞれのセッションの座長が義務づけられています。三輪先生からのメッセー ジのとおり、学問の発展に日頃努力した結果が日の目を見たともいえます。と同時 に、日本での第一人者の仲間入りを世界の学者が認知したともいえます。その名誉 は、天狗にならずに、次なる世代に新しい概念を贈る役割も背負うことにもなった次 第です。孤高の道を歩めという、極めて孤独な人生をますます歩まなければならなく なりました。凡人には辛い試練です。  三途の川ならば、一人出歩いた方が楽です。生き地獄を放浪する辛い日々の始まり です。皆様がたのLif Styleからさまざまなヒントを得るしか方法が無いので今後と も宜しくお願いします。

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服部Dr.を囲んで  (杉山、古市 京都にて)
ここをクリックしてください。ビデオが見られます。 平成16年9月9日
Windows Media Player ムービーで見られます。
見られない方は次からダウンロードできます。
Windows Media Player 9 for Win
Windows Media Player 9 for Mac OS X
音の聞こえない方は 設定− コントロールパネル− サウンド で調整してください。
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西チベット学術登山隊2004
投稿者 鳥取制市 平成16年8月22日
平成16年8月7日  読売新聞掲載記事
 日本山岳会関西支部は、来年に迎える日本山岳会100周年、同関西支部70周年を記念し、
「西チベット学術登山隊2004」を結成、今年9月から10月にかけてヒマラヤの未踏峰に挑む。
本格的な海外登山挑戦、若手登山家の育成とともに、約100年前、日本人で初めてヒマラヤ
を越えた大阪府堺市出身の僧、河口慧海(えかい)師の本格的な足跡調査を行うのも大きな
目的。
登山隊と学術隊が有り 和田君は学術隊、隊長として参加。

和田
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嵐山、桜の風景
投稿者 古市義人 平成16年4月3日 朝9時頃
 3日の朝、ジョギングをするときにカメラも持って出かけました。(皆様のために?)
 自宅から松尾橋、東公園、中之島公園、渡月橋を渡って罧原堤と帰っていきます。
 中之島橋の上は朝9時なのにもういっぱいの人です。そして中之島橋から見た用水路。
 中之島公園から見た渡月橋、渡月橋から見た大堰。これを作ったのが秦一族です。
 そして対岸(観光道路)から見た渡月橋です。
 昨日(11日)はもう桜が寂しくなっていましたが相変わらずの人の洪水でした。

中之島橋 中之島橋上
中之島公園 渡月橋看板
渡月橋 渡月橋遠景
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広隆寺の桜
投稿者 古市義人 平成16年4月1日 朝9時頃
一週間ほど前に杉山君が広隆寺を訪ねたとのことです。
 今日、広隆寺の前を通ると「花祭り」と書いてあります。桜が咲いているから花祭りかな?
 と思ったのですが多分お釈迦さんの誕生を祝う祭りでしょうね。
2枚目の写真の奥からは拝観料が必要でしたので入るのはやめました。

広隆寺正面 広隆寺正面
広隆寺正面
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榎本薬品株式会社
投稿者 榎本時一 平成16年3月18日
3月16日の「日刊工業新聞」に榎本薬品が記事に取り上げられました。
「IT百選パートV」 その記事の内容です。
 ジェネリック医薬品専門商社としてIT武装はほぼ整った。
在庫管理と連動した自動発注システムが軌道に乗り、添付文書の改訂など医薬品情報をメールで一括送信する顧客サービス体制が整ったとのことです。
医科向け医薬品は典型的な多品種少量の業界。「中でもジェネリックはすさまじく、“超多品種少量”。年商が100億円に満たない当社でも扱い品目は6500アイテムに上る」という。
しかも、人命に直結するものだけに、欠品を起こし、医師や調剤薬局の緊急な注文に応じられなければ、卸商社そのものの信用にもかかわる。
自動発注システムの導入で、こうした危険を回避できる。

日刊工業新聞
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大酒神社
投稿者 古市義人 平成16年3月1日
京都の太秦(うずまさ)に広隆寺があり、ここには国宝第一号の「弥勒菩薩」があります。
このお寺は秦一族が聖徳太子をしのんで造ったものです。
彼ら渡来人は嵐山に大堰を作り(渡月橋のところ)嵯峨一円に用水路を引き開墾しました。
この大堰より上流を大堰川、下流を桂川と言います。そして四条通西端の松尾大社と東端の祇園神社を中心として秦一族と賀茂一族(?多分) の渡来人が力を合わせ京都を発展させたと聞いています。その広隆寺の横に大酒神社があります。そこに書いてある「由緒書」を写してきました。 これらを読むと日本人のルーツはほとんどの人が渡来人じゃないかて思いました。前回のお祭りの投稿の「神社」の写真に写っているところと同じです。
「由緒書」  宗教法人 大酒神社  昭和五十九年五月
祭殿  秦始皇帝、 弓月王、 秦酒王
相殿  兄媛命、 弟媛命、(呉服女、 漢織女)
神階  正一位、 治歴四年四月(1068年)
 当社は、延喜式神名帳葛野郡二十座の中に大酒神社
(元名)大辟神社とあり、 大酒明神ともいう。
「大辟」称するは秦始皇帝の神霊を仲哀天皇八年(三五六
年)皇帝一四世の孫、功満王が漢土の兵乱を避け、 日本朝
の淳朴なる国風を尊信し始めて来朝し此の地に勧請す。
これが故に「災難除け」「悪疫退散」の信仰が生まれた。
后の代に至り、功満王の子弓月王、 応神天皇一四年(三
七二年)百済より一二七県の民衆一万八千六百七十余人
統率して帰化し、 金銀玉綿等の宝物を献上す。 又、 弓月王
の孫酒公は、 秦氏諸族を率いて蚕を養い、 呉服漢織に至って
絹綾錦の類を夥しく織出し朝廷に奉る。 絹布宮中に満積し
て山の如く丘の如し、天皇御悦の余り、埋益(うずまさる)と言う意味で
酒公に禹豆麻佐(うずまさ)の姓を賜う。数多くの絹稿を機出したと呉服
漢織の神霊を祀りし社が大酒神社の側にありしが明歴年中
破壊に及びしを以て、 当社に合祭す。
機織のみでなく、 大陸及半島の先進文化を我国に輸入
するに力め、 農耕、造酒、土木、管絃、工匠産業発達に
大いに功績ありし故に、 其二神霊を伴せ祀り三社となれり。
今大酒の字を用いるは酒公を祀るによって此の字に改む。
広隆寺建立后、 寺内 桂宮院(国宝)境内に鎮守の社と
して祀られていたが、 明治初年政令に依り神社仏閣が分離
され、 現在地に移し祀られる。 現在広隆寺で十月十日に行
われる、 京都三大奇祭の一つである牛祭りは、 以前広隆寺
の伽藍神であった時の当社の祭礼である。
尚、 六〇三年広隆寺建立者、 秦河勝は酒公の六代目の孫
又、 大宝元年(七〇一年)子孫秦忌寸都理が松尾大社を
創立。 和同四年(七一三年)秦伊呂具が伏見稲荷大社を建
立した。 古代の葛野一帯を根拠とし、機内のみならず全国
に文明文化の発達に貢献した。 秦氏族の祖神である。

大酒鳥居 由緒書
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10月12日はお祭りが多いです。
投稿者 古市義人 平成15年10月13日
1)映画村の前 木嶋神社の御神輿が準備中
2)太秦神社(映画村南の交差点に有る)の御神輿も準備中
3)、4)二つのお祭り御輿が交差する。
12日の日曜日、歩いて出勤しているとあちらこちらの町内会でお祭りの準備をしていました。
僕らの子供の頃よりこういう町の活動が増えてような気がするのですが?良いことですね。
映画村 神社
交差 交差
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投稿者 水口 治 平成15年7月26日
1)尾瀬沼
2)鏡池
3)涸沢、よりの涸沢岳モルゲンロード
涸沢モルゲンロードとは 朝日で山々が赤く染まる事です。日が出る前に上空の雲当に反射した光が山に当ってこの写真取れたと思っています。
この場所は上高地、梓川よりの穂高を望む写真。その山の後ろの場所で捕られたのです。
尾瀬沼 涸沼
モルゲンロード
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石臼シンポジウムに参加
投稿者 水口 治 平成15年5月26日
男三人(細川 鳥取 水口) 飲み会場所探しを兼ねて岐阜県荘川村に出歩き 石臼シンポin飛騨 と高名な村おこしの勉強会に 我々三人は現れました。偉い先生方と膝を交えての勉強会 だけど三人組は桜見プラス御母衣湖、合掌村見学、綺麗なネイチャンを見っけに覗きました。いたいた お玉ちゃん、たこ焼きめぐりを出版した熊谷真菜さん シンポはソッチノケ。村長さん差し入れのビールとで出来上がり 次に三輪研同窓の青木君(徳寿工作所)小柳君(千代田化工)高田君(第一朝日工業)らと飲み大いに盛り上がりました。翌日は二日酔い、お頭が痛い中二時間も講義、大学でて以来始めてでした。写真1 は五連水車で回している石臼、写真2 は観に行き見た荘川桜(ツボミ) 写真3 は御大、お玉ちゃんと三人組。写真4 は咲いた荘川桜(円山の垂れ桜よりも立派)写真5 は五連水車(この値段全部で1億円)今回の一番の収穫は 細川君が「そば」に詳しいこと 蕎麦屋さんを始めたい人彼に相談したら良いと思う(儲かる、儲からないは別にして)。

アズマヒガンザクラ、樹齢450年の荘川桜。ダム建設で湖底に沈むところを移植されました。

石臼 桜
三輪先生他 荘川桜
5連水車
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